3月号 私たちは「派遣」されています

典礼委員会 塩谷隆

さて、唐突ですが「教会に来る第一の目的は何ですか」と問われると皆さんはなんと答えるでしょうか。当番地区のお手伝いがあるから… 所属している委員会やグループ活動があるから… 受けたい講座があるから… 祈りのグループに参加したいから… 聖歌隊やグレゴリオの練習があるから… 親しい仲間と会えるから… 高齢者(または青年)の集まりに参加したいから… 教会学校に出たいから… 趣味の手芸作品作りに参加したいから… 典礼の奉仕があるから… 結婚式や葬儀に参列したいから… などといろいろとあるようですが、これらは教会活動の一環で教会共同体としては大事な要素であり、信徒の信仰を深め、充実した奉仕活動や楽しい時間を過ごすための手段であることに間違いはなさそうです。しかしこれだけだと何かが抜け落ちていることに気がつきます。

そうです。信徒が教会に集う第一の目的はまず「ミサに与ること」でしょう。これは信徒としては当たり前のことで目的というよりは使命感であって、目的意識としては特に持ち合わせてないのかもしれません。

ミサは、イエス・キリストの死と復活を記念し、神に感謝と賛美を捧げる、教会における最も重要な感謝の祭儀ではありますが、ミサに与るために教会に集う信徒の気持ちや感情はその時々によって様々です。自分や家族の健康のために祈りたい… ある人に感謝・想いを伝えたい… 不安定な感情を落ち着かせたい… 折れた心を解消し前向きな気持ちになりたい… 願いを叶えるために祈りたい… 不条理・理不尽なことがなくなるよう祈りたい… 危機から解放されるよう祈りたい… 社会的弱者(被災者・障害者・高齢者・被差別者など)のために祈りたい… 自分の信仰を深めたい… 神との絆を深めたい… とにかく清々しい気持ちになりたい… など御利益的祈りなどを含めて千差万別、多種多様です。そして集うすべての人のそのような想い・願い・祈りを聴いて神に届けるための橋渡しをする場所が『ミサ』といえるのかもしれません。

ミサはまたその主日に即した福音、司祭の説教、祈りなどをとおして様々な恵みもまた私たちに与えてくれます。

そしてミサの最後に『派遣の祝福』があります。これはミサの中でキリストのいつくしみや福音の恵みを受けた信徒が、今度は教会から日常生活や社会へと送り出され、そのミサで受けた恵みを実践することが促されます。閉祭のことば「感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに」が一般的ですが、「行きましょう」の後には他の記述表現で「主の福音を告げ知らせるために」または「日々の生活の中で主の栄光をあらわすために」ともあります。ラテン語では「Ite,missa est」(イテ・ミサ・エスト)「行け、派遣された(解散した)」と言い、これが「ミサ」の語源になったようです。その後、「派遣の歌」でミサは終了します。

さて、聖堂を出て私たちはどういう想いを持ってどこに派遣されればよいのでしょうか。家庭、職場、学校、市民サークル、町内会、他様々な集まり… そして1週間後にまた教会に戻ってきます。この派遣されているという意味を今一度思い起こし、派遣されているという意識をもって日々過ごしたいものです。

典礼委員会ではこのような信徒の皆さんの様々な思いや受ける恵みを包含しているミサ典礼が粛々とスムーズに進行するよう淡々と務めることがその大きな役割となっています。