6月号 共同体としての識別

助任司祭 ガル ブブン

この二年以上、私たちはシノドス(共同体として共に歩むこと)について話し合ってきました。この精神に基づき、私たちは以前にも増して、分かち合い、話し合い、祈り、共に働いてきました。私たちは教会のために、自分自身を捧げ、時間を捧げ、時には家庭のことでさえも犠牲にしてきました。いつも感謝しています。

しかし、ここで疑問が生じるかもしれません。私たちは本当に真の共同体の精神でこれらの活動や奉仕をしてきたのでしょうか?

ある先輩司祭はこう言いました。「教会共同体はお互いの相性とはあまり関係がありません。学歴や心理的構成、社会的地位が似ていることは、私たちを一緒にすることはできても、決して共同体の基礎にはなり得ません。教会共同体とは、私たちを共に召される神に根拠があるのであって、人々が互いに惹かれ合うことに、根拠があるのではありません」。この言葉は力強く、とても真実だと感じました。共同体の神秘とはまさに、個々の違いがどうであれ、すべての人々を受け入れ、キリストの兄弟姉妹として、天の父の息子娘として共に生きることを可能にすることです。ですから、真の共同体の精神を受け入れることは、私たちの教会にとって不可欠なことなのです。

では、それが私たちの共同体としての最終目標なのでしょうか?私の答えは「YES」であり「NO」です。「YES」は、私たちが同じ精神を維持する必要があるからです。 「NO」は私たちが次のステップに進むための足がかりに過ぎないからです。次のステップは識別です。このプロセスは、私たちの共同体における意思決定において神の意志を求める私たちの識別を助けるものであり、同様に不可欠なものです。私たちの共同体における神の霊を正しく識別することは、健全な霊的生活と、神や他者との関係に不可欠です。逆に、識別を怠ると、霊的な欺瞞、誤った決断、感情的な混乱、緊張した人間関係、そして最終的には霊的な成長の停滞につながる可能性があります。

皆さん、神が私たちの共同体を真の共同体、すなわち、常に神のみこころを求め、識別しようとする共同体として築き上げられるよう、私たちは祈り続け、力を合わせていきましょう。アーメン