10月号 変わるもの、変わらないもの
典礼委員会 村上佳世
コロナ禍の3年間は私たちに何を残したのでしょう。2020年新型コロナ感染症が広がるとともにいろいろな活動が制限されミサも非公開になってしまいました。教会に集えない非公開ミサから、一つおきに座席を離してできるだけ人と触れ合わず会話もせず、御ミサも会議もオンラインで、等記憶に新しいことです。「二人、または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)。人と触れ合わないことが起きるとは想像もしていなかったのです。先々に対する不安と一人でいることの不安に押しつぶされそうな時に、これも試練かと忍耐を重ねてきた日々が思い出されます。その日々を乗り越えてきた今だからこそ、本当に大切なもの、譲れないものがあると少しわかったような気がします。
その生活の中で昨年2022年11月待降節第一主日より新しいミサの式次第による御ミサが始まりました。いろいろな変化にとまどいましたが、6月の小池神父様のご説明で、今までの御ミサが第二バチカン公会議後の暫定的なものであったと知りました。暫定で60年過ごすというのは…と思いましたが二千年のうちの60年は永遠の中では一瞬なのでしょう。それから制限の解除により、答唱詩編を歌えるようになり、聖霊降臨の主日からは慈しみの賛歌と栄光の賛歌、8月から感謝の賛歌と平和の賛歌、と順次追加して今はすべての聖歌を歌うようになりました。フルに詰まった聖歌ボードの再開にひそかに心躍らせたものです。
コロナ後もまだマスクはしていますし不安が取り去られたわけではありません。でも何か一つ乗り越えたという強さが心に生まれています。神様は不安な時にいつもそばにいてくださる、神様の与えてくださるものが良くないもののはずがない、と思える自分がいます。神様はいつも私たちに向けて手を伸ばしてくださっているのだからその手を離さないようにしたいと思います。この変わってしまった世の中で変わらないもの、神様の愛、を見失わないようにしたいのです。