6月号 パンデミックの後、これからの教会

主任司祭 ウィフリデュス ガッラ

パンデミックによって、インターネットや通信技術の役割が非常に顕著になりました。世界中の教会が、建物内での礼拝や奉仕を閉じ、インターネットに移行し、YouTubeやZoomなどインターネット上の様々なアプリを通して礼拝を放送し、奉仕を実施しています。オンラインやソーシャルメディアの利用が増加している(多くの教会にとっては新しい)ことは、当分の間、教会と共にあり続けるでしょう。また、長年にわたって教会の集まりに参加していた人よりも、ライブ配信に参加している人の方が多いというのも興味深いことです。宣教への示唆は、教会や宣教機関が宣教活動を行うための新しい方法を開発する必要があるということです。より多くの、より広い範囲に手を差し伸べることができ、その方法をカスタマイズする機会もあるのです。これは、対面式の宣教がもはや必要ないとか、取って代わられるということを意味するものではありません。しかし、私たちは今、そのための新しい手段を持っているのです。

パンデミックの間、多くの人々が自分の人生の意味、基礎、方向性、そして自分にとって最も重要なものは何かについて考えるようになりました。また、死への恐怖など、不安も経験されたことでしょう。つまり、多くの人が聖霊によって静かに動かされ、その心が神の言葉の種を植えるための肥沃な土壌となったということです。

パンデミックが去った後、聖霊が準備した人々の心に、イエス・キリストの福音を伝える絶好の機会が訪れました。2000年前に主イエスが言われたことは、今日も、そしてこれからの時代にも通用します。イエスは弟子たちに「収穫は多い」(ルカ10:2)と言われました。また、「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている」(ヨハネ4:35)とも言われました。収穫できる魂がたくさんあるからこそ、主は「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(ルカ10:2)とも言われました。

このパンデミックは、信者に危機感を抱かせている。私は、自分の人生をどうしたいかを再考している若者を知っています。彼らの熟考の結果、救いを切実に求め、破滅に向かっている世界に対して、緊急かつ率直に福音を伝えることに専念する新しい証人、伝道者、宣教師が多く生まれることを祈ります。

世界も教会も、自分たちを甘やかしてきた古い快適さや地位に戻る誘惑に負けてはなりません。私たちは、教会の境界を越えていかなければなりません。教会は、自分たちの隣人が本当は誰なのかを考えるようにさせられます。教会が自分たちを取り巻く世界の大きな必要を感じるとき、ますます熟した収穫の場が見えるようになり、今、キリストの愛と真理を切実に必要としている世界に仕えに行く人がたくさんいます。死の只中にあっても信仰と信頼を持ち続ける教会には、死の恐怖に足枷をはめられた世界に宣べ伝え、示すべき良き知らせがあるはずです。それは、罪深い人間が直面する最大の問題である罪と死に打ち勝った主を礼拝し、それに従うからである。

宣教活動は、私たちがその動機や方法を見直し、新たにすることで、必然的に様々な変化を遂げることになります。しかし、イエス・キリストの福音の良い知らせは、素直さと確信を持って宣べ伝えられ続けなければなりません。