3月号 私たちにできることは?
福祉委員会 朝日 文子
2013年にそれまでの福祉連絡会から福祉委員会となってから、今年で10年となります。主な役割は、教会の中で、国内外の社会的弱者といわれる人々のための福祉活動への支援や国内外での自然災害や紛争に苦しむ人々への緊急支援のための窓口となることです。援助と支援の意味の違いは、援助はこちらが主体となる全面的な助けなのに対し、支援はその一部を間接的・脇役的に支える助け、と言ったらよいでしょうか。
実際多くの場合、私たちは援助隊として助けに行くことはできませんし、福祉活動に何もわからない状態で飛び込んでいくことに躊躇した経験をお持ちではないでしょうか。私自身、どこに注力すればよいのかも決められず、先ずはその覚悟ができていないのです。ならばせめて困っている人々を何らかの形で支えたい、もしくはその活動を担っている人々の助けになれたらと思うのですが、その反面、支援として実際にできることは限られているという思いに捉われることも多々あります。募金をしてそれで終わりとしてよいのか、それで満足してしまってよいのか、と。その後の人々の暮らしや社会からの認知度が少しでもよくなっているのか、当初の目的を越えられたとしても新たな問題が出てきているのではないか等を確認し、何よりも「忘れていないよ」という証として、たとえわずかでも継続支援することの大切さを感じます。その役目が福祉委員会にあると思うのです。
また誰もが幼い子ども時代から、大事なければやがて高齢となります。その間も世代によって様々な悩みもありますが、教会にどの世代も居場所があるように、と思うのです。また同時に松原には外国籍の方も多く、言葉の問題さえクリアできれば、身近に接することもできる環境です。どの人も大事な存在だと認められ、「神の子羊の食卓に招かれた人は幸い」の言葉から、主日のミサに与れた人は、様々な理由で与れない人のために頂いたお恵みをお裾分けでき、受け取って頂けたら…と思うのです。
冒頭の方で「社会的弱者」という言葉を敢えて使いましたが、それは私たちの誰もが、いつそうなるのか分からないだけで、時には人権にかかわる問題にも遭遇するかもしれません。人は予期せぬ時に思いがけないことに遭遇する、それが人生と言っても過言ではないのです。与えられた人生が辛く厳しいものでも、その中にきらっきらっと輝く喜びや希望に照らされ、後になって気づかされる感謝すべきことに、多くの人が、願わくは全ての人が悟ることができ、救われますように、と祈るばかりです。私たちは無力さを感じる時に、「祈ることしかできない」と捉えるか、「祈ることならできる」と捉えるか、双方入り混じっているのが正直なところですが、誰かのために祈ることは、今その人のためには活かせないとしても、その人在ってこその未来のために、何もしないわけにはいかないというその思いが祈りになるのでは…と感じるのです。
私たちは皆、「誰かのために祈る」側にも「誰かに祈ってもらう」側にも立っていて、支える側にも支えられる側にもなれるのです。そのためには日頃から、「困っていることある?」「何か手伝えることない?」、「手伝って」「助けて」と言える間柄をこれからも築いていきたいと思います。