6月号 キリストの証人として生きるということ
助任司祭 ガル・ブブン
私たちが日本の社会の中でキリストの証人として生きるとき、その「成功」は、洗礼を受ける人の数や修道生活を志す人の多さだけでは測れないものです。たしかに、それらは喜ばしいし、神様の恵みのしるしでもあります。でも、それだけがすべてではありません。
キリストの証人であるということは、私たちの生き方や態度、日々の小さな選びを通して、まわりの人々が「この人は何か違う」と感じること。その違いの中に、神様の愛やあわれみをほんの少しでも見いだしてもらえるなら、それがすでに大切な証しになっているのではないでしょうか。
もちろん、そうした姿に心を動かされて信仰の道に踏み出す方がいれば、それは大きな恵みです。でも、たとえ信仰に至らなくても、その出会いを通して神様の優しさや思いやりに触れ、「自分ももっとよい人間になりたい」と願うようになってくれるなら、それもまた神様の働きのひとつだと思うのです。
だからこそ、私たちは、どんな時も神様のあわれみと愛を示していきたいと願います。特に、困っている人、傷ついている人、社会の中で声を上げづらい人たちに、寄り添う心を忘れずにいたいと思います。
私たち一人ひとりの小さな証しが、誰かの心に届き、静かに神の光をともしていきますように。