10月号 あなた方も離れていきたいか

典礼委員会 村上佳世

イエスは「あなた方も離れていきたいか」と言われた。(ヨハネ6:67) 

洗礼を受けてからなかなか毎週教会に行くことができず、教会とのつながりも希薄なままでした。こちらに引っ越してきて子どもが生まれてからは幸い教会学校にお世話になり、いろいろな面で助けていただきました。つらいことがあり心療内科に行った方がいいかと悩んでいた時、御ミサで「疲れた者、重荷を負う者はみな、わたしの元へきなさい、休ませてあげよう」(マタイ11:28)という聖書の言葉に、ああそうだ私は一人ではない、神様が一緒にいてくださってここで憩えるのだ、とひどく安心したのを覚えています。それからはなるべく教会に通い、遅々としていますが自分なりの信仰の歩みを続けています。

大学の教育学の授業で学んだ哲学者であり教育者であったウィリアム・アーサー・ワードの言葉に、「良い教師はかみ砕いて教える。優れた教師は考えさせる。偉大な教師は心に火をつける」というものがあります。まさにイエス様の教えは心に火をつけるものです。でも自分は弱いのでその火が大きくなったり小さくなったりします。ともすれば消えそうになっていてイエス様から遠ざかっていることに気付かなかったり、ハッと気付いて走って戻ったり。心の火はたとえともしたとしても、エネルギーがなければ火がついたままでいることはできません。

イエス様から離れず心に火をともし続けるということは一人では難しいことだと思います。その火を自分で吹き消してしまわないように、風が吹いても揺らぐことのない大きなともしびとなりますように、とエネルギーであるイエス様のみ言葉を聞くために日曜にミサに与りご聖体をいただきます。神父様や歩みを共にする友人と語り合うことでぶどうの木につながっているお恵みに感謝しながら、これからの人生をイエス様から離れないで心に火をともし続けるために聖霊をお送りくださいと祈ります。