8・9月号 私達は夢を見る子たちです

正義と平和委員会 片寄 幸代
石原真理子


(ぬち)どぅ宝(たから) 沖縄の人々の顔と声である沖縄ことば。あの戦争で、島国日本の本土を守る捨て石となった島「沖縄」。8月15日が過ぎても自決を強いられる戦場(いくさば)であったのです。さらに日本国存続のための捨て石となり、「銃剣とブルドーザー」の米軍の占領下に置かれたのです。27年もの間。

本土で発布された日本国憲法は、「戦争の惨事の犠牲となった命の声が、万感の思いで未来に託した夢」なのです。政府によって惨事が起きることのないように、「主権在民」を宣言した夢なのです。恐怖と欠乏から免れ生存する権利を確認した「人類普遍の理」であるのです。

沖縄の復帰は1972年5月15日でした。その前、1971年11月17日、屋良朝苗県知事は「基地のない、平和憲法下での基本的人権保障」の建議書を持って東京へ向かいました。しかし、上京時刻に合わせて国会は「基地撤去せず」と強行採決をしてしまいました。命(ぬち)どぅ宝(たから)の夢はまたも捨て石となったのです。沖縄はパスポートが必要な外国であり、恐怖と欠乏の県であったのです。

それから50年が経ちました。沖縄は今も変わらずに教訓と知恵の声を響かせています。目も耳も開かれたのです。朝鮮戦争、ベトナム戦争の武力は足元にありました。沖縄の人たちは「加担者にはなるまいぞ。そのための基地は無くそう」と思い続けました。憲法九条の精神が活かされていたのです。沖縄の人々のこのような生き辛さ、苦しみを日本国民全員が共有し寄り添うことが大切です。私達は沖縄の人々を二度と戦争の盾にしてはならないのです。

「戦争への備えは、戦争の始まり」。ウェイン・バーント那覇司教が2022年沖縄慰霊の日に当たって述べられた言葉です。実際には、沖縄列島には自衛隊のミサイル基地が

着々と造設され、「破壊する力の壁」になっているのが現状です。

そして多くの命が失われた広島、長崎の被爆です。原爆の悲惨さと恐ろしさを唯一の被爆国としてこれからも全世界に訴えねばなりません。核を共有することは、被爆者の犠牲が意味のないことになります。

ところで2022年、改憲の動きが強くなってきています。この重大な時期に、どれほどの人々が日本国憲法を読んでいるのでしょうか? どうか皆さま読んでください。第九条の武器を使わない、「戦争の放棄」。前文の最後には平和への誓いがあります。日本の平和憲法は世界に誇れる宝です。

今まで述べたことについては日本の外交の成果を期待します。日本の平和憲法と、70年以上続いてきた平和を全世界に強く訴え、日本は全ての国と平和条約を結ぶのです。

夢を見る私達は、「戦争への備えは、戦争の始まり」を「平和への備えは、平和の始まり」と読み替えて、不断の努力をすればよいのでしょう。たとえ「お花畑」と揶揄されても。

夢を見る息吹を受けて新しくなりたい。