12月号 お陰様で

お陰様で

主任司祭 エドガル・ガクタン

写真は2021年11月22日付で、これに伴う記事は以下の通り。

「バチカンの職員たちは、サンピエトロ広場にクリスマスツリーを設置し始めた。 高さ約90フィートのアカトウヒ。 イタリア北部のトレンティーノ地方にある、アダメッロブレンタ自然公園の近くの町アンダロから来ている。」

何故か、写真を見て、ある亡き修道会の先輩のことを思い出しました。この先輩は二年前のクリスマス直前、天に召されました。97歳でした。先輩の名前は、木陰実(こかげ みのる)。

木陰神父は先に中国に派遣されましたが、1948年、来日しました。彼は、後に日本国籍を取得しました。帰化した理由をご本人から聞いたことがあります。帰化に伴う名前の由来の話に感動しました。ある日、日本人僧侶が神父の名前の理由を聞かれたそうです。

「木の陰の下でわたしの人生が実る」、神父の答え。

「陰の下で実がならないと思いますが」、僧侶。

「わたしの人生は、十字架の木の陰で実がなる」、神父がその答えの言葉を一つ一つ吟味しているのを今でも覚えています。

クリスマスツリーの話に戻りますが、一般的な知識としてクリスマスツリーはイエス・キリストとは無関係です。この飾りの原型は古代ゲルマン民の「ユール」という冬至の祭で使われていた樫の木で、冬でも葉を枯らさずにいる樫は生命の象徴とされていた、これも共通理解の一つ。

クリスマスツリーのシンボルが多くの人々に感動され、説明がなくても通じている。クリスマスツリーは、暗い冬季の中過ごしている人々に春の訪れを待ち望む希望を与えてくれる。クリスマスツリーのシンボルとしての力は否定できません。

十字架は年中教会に設置されている。しかし、多くの人には十字架の意味がぴんと来ない。使徒パウロ自身が十字架につけられたキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものである、と認め、十字架を「宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いていませんでした」と言うのです(1コリント1・21-2・2)。

一方、クリスマスツリーも十字架も多くの人には単なるオブジェ。他方、クリスマスツリー、あるいは十字架の木を見て、希望を見出し、立ち直った人もいる。

激しくふぶく風、人生のさまざまな困難に、わたしたちが立ち向かえば、クリスマスツリーは、わたしたちなのです。