「鐘」巻頭言 2019

6月号  「いざよろこべ」

2019年06月09日

助任司祭  エドガル・ガクタン


教会の奉仕の一つは、死者のために葬儀によって霊的助けを祈り求めたり、生者に希望の慰めを与えたりすること。葬儀は典礼法規に従って執行されるが、司式司祭として故人の言い遺しを配慮することもある。ある葬儀の二コマとその背景とを分かち合いたい。
先日天に召されたIさんの葬儀。Iさんは1925年、兄二人、姉一人の末っ子として神戸で生まれた。父親の仕事で朝鮮に渡り、少女の頃から朝鮮で暮らしていたが、終戦で引き上げてきた。遅れて引き上げた父は故郷にたどり着いた日に駅で亡くなり、兄一人はレイテ島で戦死した。
つてを頼って大阪に出て事務の仕事についた。そこで知り合ったのが、生涯の親友となったMさん。その後、勤めた会社が倒産したため二人で東京に出て職業も住まいも転々としながらお互い助け合って生きてきた。信仰の道は、病気で入院した時のシスターとの出会いから。いつしか教会に導かれて、1962年の復活祭に渋谷教会で洗礼を受けた。何度か転居した後、近くのマンションに定住したので松原教会にMさんと共に転入した。親友のMさんは十年前先に帰天したが、長期に入院している間、Iさんはずっと寄り添って家族のようにお世話をしていた。
IさんもMさんも生涯独身、誰も血縁の方がいなかった。Iさんの生い立ちを紹介してくれたのは、一年前帰天した小さき花のテレジアCさん。Cさんは十二年間、繰り返し入退院していたIさんの世話をしていた。幾人かの信者がIさんの世話を継続していた。「誰が、キリストの愛からわたしたちを引き離すことが出来ましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか…」、葬儀の第一朗読の一部(ローマ8:35)。Iさん、Mさん、Cさん、他の生者と死者のことを思うと、「誰も」、使徒パウロにそう頷きたい。
Iさんの洗礼名はヴェロニカ・マリア。ヴェロニカはイエスの顔を布で拭ってくれた女。伝承によるとヴェロニカに返された布にイエスの傷ついた顔が浮かび上がっていた。
ヴェロニカの行為に霊的真理があるような気がする。人の苦しみを緩和するために誰かがしてくれたことは見過ごされない。人の痛みや悲しみにもたらされる優しさは封印のようにその人に残る。私たち自身にも。ヴェロニカは実在者だと思う。
参列者15人がIさんの念願聖歌「いざよろこべ」を葬儀前練習し、アレルヤ唱として歌ってくれた。