「鐘」巻頭言 2018

6月号    青草物語

2018年06月08日

助任司祭   エドガル・ガクタン
 

松原教会共同体は例年通り今年も復活の主日に新しい仲間を迎えた。今回は5人も受洗した。翌主日に松原教会で5人もの子が初めて聖体を拝領した。聖霊降臨の主日には14人もの松原教会の仲間が東京カテドラルで堅信を受けた。
この恵みを嬉しく思い、復活節のある集会祈願を通して感謝したい。「すべてを導かれる神よ、教会は新しい民を迎えて若返り、喜びに満たされています。あなたの子どもとなる恵みを受けたわたしたちが、感謝のうちに救いの完成を待ち望むことができますように。
「若返り」を聞くと、私は詩編23編、特に「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」という一句を思い出す。この詩は通夜や葬儀ミサの答唱詩編として知られているが、信者にとって、詩編の「主」が、イエス・キリスト自身で、羊飼いのように私達と共に旅し、「永遠のいのち」へと導いてくださる方。
復活節の第4主日の福音朗読は、ヨハネ書の10章からの一断編で、いずれの箇所も(A年10:1-10、B年10:11-18、C年10:27-30)、イエスが命がけで羊を擁護するのを語る。イエスは羊を見放せない飼い主。
信者共同体は、言わば一群れで、小教区や修道院などという囲いの中に集められる。この集会は、囲いの中で一晩を過ごす群れのようで、羊飼いは、翌朝「羊をすべて連れ出す」(ヨハネ10:4)からである。私達は他の群れと肩を並べ、社会という牧場で放牧する。この牧場への神の夢がある。それは、「狼は子羊と共に宿り、豹は小山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子どもがそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしくほし草を食らう」(イザヤ書11:6-7)。
被造物の共生という話は、イエスが色々なたとえ話を通して述べ伝えた「神の国」の前触れ。神の国とは、弱肉強食の裏腹。私達は聖霊の導きに従ったら、決して肉の欲望を満足させるようなことはない、先日の聖霊降臨の第2朗読がそう教えている(ガラテヤ5:16-25)。
生活の営みに励む私達は、諸々の葛藤と苦しみに遭遇しているが、憩いの場所がある。私達はこの場所に連れられたり、人を連れたりしている。信者たちは主日ごとに感謝の祭儀を捧げるために集まる。感謝の祭儀、即ちミサは生活の原点であり、頂点でもある。

 

 

 

トリビア

草とは、植物の一種で木のように永続的に硬い組織(木質組織)をもたないものである。また以下のことを表す。

•草 – 忍者の任務の一つで、目的遂行のために素性を隠して潜入先の地に一般住人として溶け込み生活すること。
•草 – 書体の一つ。草書。
•草 – 草仮名のこと
•草 – 生け花の役枝の一つ
•草 – ネットスラングでwwwのこと。
「w」が草に見えることから転じて。

http://dic.nicovideo.jp/a/草より