4・5・6・7月号  COVID-19・AD2020

主任司祭 エドガル・ガクタン神父
 
前者は、新型コロナウイルスを原因とする病気の名称と聞いています。馴染めない綴りです。病気の名称の決め方があるようです。「名称は病態を表す普遍的な単語を含んでいる必要がある一方で、地名や人物、動物にちなんだ名は使えないルールが定められている」、インターネットからの説明。こうした制約があるなか、いかに新名称は決まったのか、称賛をあげている声もあります。
後者は、本年のこと。私達信者にとって誇りとする一方で、世界の一部の人にとって普遍性の欠けている文字と数字の組み合わせ。西暦はイエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を紀元とした紀年法でありながらも多くの国や地域に用いられています。Anno Domini「主の年」をCommon Era「共通紀元」へ、同時に紀元前 (Before Christ)をBefore Common Era(BCE)に切り替える働きも広まっているようです。
コロナの話ですが、緊急事態宣言中、一つでも多くの国の状況を知ろうと思い、普段見ようとしない外国ニュース放送を見ていました。音声切換をせず、私に通じない原語をそのまま聞いていたときもありました。映像を見たり、何回も「コロナ」が聞こえたりして、向こうの日々の難儀さが伝わっていたような気がします。
緊急事態宣言解除後、東京教区は6月21日から教会活動を段階的に再開しました。灰の水曜日(2月26日)以来の再開。2020年は、世界の多くのキリスト者にとって前代未聞の年。なぜなら、典礼暦の約四分の一を占める四旬節と復活節のミサと典礼を公に行うことができなかったからです。
今年の6月21日は、典礼暦のA年の年間第12主日に当たっています。この日の主イエスの言葉の一部は、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい(マタイ10:28)」。新型コロナウイルスは、恐れを引き起こさせるものです。恐怖の中で、なすべきこと、いのちをかけても譲れないことを行っている方々が思い浮かびます。ウイルスに対する恐怖に打ち勝ち、信じることを実行して、魂にある信念を忠実に生きている方々。
先日、ある映画監督を紹介したニュースを見ました。コロナ禍の中、いたわり合う者たちの数々の場面をドキュメンタリー映画にした監督。ハッピーエンドの映画を普段作らない彼は、「分断を超えて連帯へ」と言うテーマを描写したかったそうです。普遍的な永遠のテーマ「愛は勝つ」の別名だと思います。