12月号 枝のおかげで

助任司祭 ガル・ブブン

待降節に入ると、教会ではクリスマスツリーが飾られます。松原教会も、庭のツリーを色とりどりのイルミネーションで飾ります。暗くなると、とてもきれいです。私は部屋の窓から、近所の人たちがきらきらしたクリスマスツリーの光を楽しんでいるのを何回も見たことがあります。葉っぱが全部落ちてしまっても、枝は残るから、クリスマスツリーのイルミネーションを作ることができます。

庭の枝だけになったクリスマスツリーをじっと見ていると、私はイエスのみ言葉を思い出します。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15:5)。太い幹から四方に伸びてつながっている枝のように、私たちもイエスにつながっていれば、きっと誰かのために役に立てるのではないでしょうか。青々とした木が葉っぱを落としてしまった状態に私たち自身を重ねてみると、苦しみの淵に立たせられていても、自分の弱さを感じていても、イエスにつながってさえいれば、何とか他者にも、他の被造物にも、きっと何か役に立つことができ、実を結ぶことができると私たちは信じています。

今までの私たちはどのようにイエスにつながっていたのか、今の私たちはどのようにイエスにつながっているのか、よく考えたいのです。もしかしたら、コロナ禍の前は、私たちは教会での色々な役割、バザーや活動などを通して、イエスにすでにつながっているだろうと思っていたことでしょう。しかし、コロナ禍の今、そしてこれから、今まで通りのやり方、つながり方で果たしてやっていかれるかどうかを考えるよりも、私たちは本当の木、即ちイエスにつながっているかどうか、そして、どのようにつながっているのかということを改めて再確認する機会と言えるでしょう。

皆さんが意味深いクリスマスに向かうことができますように、インドネシアからお祈りを捧げさせていただきます。来年の2月の上旬に、また元気に会いましょうね。