4月号 自分の十字架を背負いなさい
管理司祭 ガル・ブブン
四旬節に入って、十字架の道行きの祈りに参加しながら、イエス様の痛みや苦しみなどを黙想し始めます。思いがけず、イエス様の苦しみを思い浮かべながら、私自身の心の傷や痛みも浮かんできた時もあります。今までの人生の歩みを思い巡らすと、私たちの痛みは深く、簡単に消えるものではないでしょう。それはまた、私たちのそれぞれの最も初期の人生経験と結びついているため、自分だけのものでもあります。
ただし、私たちの使命は、その痛みを「家」に持ち帰ることです。傷ついた部分が大人の自分にとって異物である限り、私たちの痛みは私たちだけでなく、他の人も傷つけることになるでしょう。「そうだよ、私たちは自分の痛みを自分の中に取り込み、自分の心と他人の心に、よい結果を齎さねばならないのだよ!」と私の霊的指導司祭が、かつて言ってくださいました。
おそらくイエス様が「自分の十字架を背負いなさい」と言われたのは、このことを意味していたのでしょう。十字架を背負うとは、まず第一に、自分の傷と仲良くなり、その傷が自分自身の真実を明らかにしてくれるようにすることです。
現代の私たちの世界には、大きな痛みと苦しみがまだ続きます。しかし、最も耐え難い痛みは、自分自身の痛みなのでしょう。でも、もしその十字架を背負うことができれば、他の人が背負っている十字架も、はっきりと見ることができるようになり、喜びと平和と自由への道を、その人自身の手で、切り拓くことができるようになるのでしょう。