12月号 喜びを選んでみましょう!

助任司祭  ガル・ブブン

ヘンリ・ヌーウェン神父様(1932-1996)はドイツに生まれ、カトリック教会の司祭でした。彼の著作を読んでいるうちに、私は彼が「喜び」に対して興味深い考え方をもっていたことを知りました。彼は悲しみが伝染していくように、喜びもそうであると信じていました。彼には、自分の喜びを他人と分かち合い、周りにもその喜びを放ち伝える友達がいました。それは彼の人生が楽だったからというのではなく、苦難(くなん)のさなかにも習慣(しゅうかん)として神さまの存在を意識するように努めていたからなのです。どこに行くにしても、誰に会うとしても、彼はそこに美しいものを見出したり、耳にしたり、何かに感謝することができるのでした。彼は現実主義者ですが、その深い信仰によって、絶望よりも希望が、不信よりも真の信仰が、恐怖よりも愛が、本当であることを知っていました。この霊的現実主義が彼をそのような喜びにあふれる人にさせました。

ヌーウェン神父はある時ひとりの友達に会い、国家間の紛争、子ども達の飢え、政治の腐敗、人々の欺瞞、というような人類の究極の問題を仕向けました。すると驚いたことに彼はヌーウェン神父の話題には返答せずに彼を見て、言ったものです。「今朝、通りを歩きながら2人の子供がパンを分け合っているのを見ましたよ。それから一人の少年が道を横切る老婦人を助けると、彼女は笑顔でお礼を言っていました。このような小さな愛のある振る舞いは、常に私たちの人生を変える新しい勇気を与えてくれます。」ヌーウェン神父はまた喜びが幸福と同じではないと信じています。私たちは多くのことに不満を感じることがありますが、神さまの愛を知っている私たちには、喜びがそこにも存在します。悲しいときには喜ぶことは困難であると考えがちですが、神を中心に抱く人の人生では、悲しみと喜びが共存するということがあり得ます。ヌーウェン神父は敢然と言いました。「私の悲しみは私が私の喜びを見つけた場所にあった」と。

しかしながら、霊的生活においては、何も自動的には起こりません。喜びは単に私たちに起こるものではありません。ヌーウェン神父の友達がやっていたように、私達も習慣的に喜びを選び、毎日それを選び続けるように訓練する必要があります。その選択は私たちが神に属し、神の中に私たちの避難所と安全を見出し、そして何ものも、病気、失敗、精神的ストレス、抑圧、戦争や死さえも、神の存在やその喜びから私たちを奪うことができないという知識に基づいたものです。
皆さん、今年はコロナ禍でクリスマスと新年を迎えますが、神さまの御摂理を絶えず信頼しながら、喜びに満ちた人生になるようにと祈りましょう。アーメン。