12月号 ことばは人なり

助任司祭  エドガル・ガクタン

今年、司祭叙階25周年を迎えた恵みをいただきました。6月30日、松原教会共同体にゴーセンス神父の司祭叙階金祝とわたしの銀祝を盛大に祝っていただきました。この場を借りて皆様に感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
自分の召命を聞かれる時、いつも同じ答えを言います。司祭との出会いや関わりに恵まれたことは召命の始まりでした。ここで、司祭との出会いと少年教会体験を紹介したいと思います。
小学校六年生の時、ある日初めてミサ侍者をさせてもらいました。その日は1977年2月2日、主の奉献の祝日でした。小学校を卒業後、カトリック学校で勉強し、週末には侍者の一人として教会で活動していました。
小教区の教会は町にありますが、町の周辺の10以上の村にチャペルもあります。主任司祭は一人でしたが、毎週土曜日いくつかの村へ出かけ、それぞれの共同体と主日ミサを祝っていました。町と殆どの村の言葉は同じですが、これと違う言葉を使う村もあります。司祭は村の言葉で説教を行なっていました。
村のミサ祭具の用意は侍者たちの仕事。主日ミサ以外、葬儀ミサや結婚式もあるので、注意深く祭具の準備をしなければなりません。それでも、ある日こんなことが起こってしまいました。その日の最後のミサを始められる前、ミサ典礼書を前のチャペルに置いてきたことに気づきました。幸いに朗読聖書は忘れないでいました。
司祭はわたしが通っていたカトリック学校の校長でもありました。司祭として町や村の人々に愛されましたが、校長として厳しくて、誰かにファザー・フューリー(Father Fury=激怒神父)と呼ばれた程怒りっぽい人でした。ミサになくてはならない本を忘れてしまったことは当然神父を激怒させる、そう思っていたわたしともう一人の侍者が雷のような怒りを待っていました。が、神父は何事もなかったかのようにミサを始めました。ミサ典礼書にある祈願や叙唱などはほぼ暗記して唱えていました。
この司祭はわたしに司祭になる道順を教えてくれましたが、宣教師との出会いによって宣教会への入会を考え始めました。大学を卒業した後、淳心会に入会し、1994年4月23日に司祭叙階の恵みを授かりました。
司祭叙階の時、司教からの訓話があります。訓話を聞く度、この言葉が心に響くのです。「自分自身が喜びをもって受け入れた神のことばを、すべての人に分け与えてください。そして、神のことばを黙想し、読んだことを信じ、信じたことを教え、教えたことを実行するように心がけてください。」
司祭に限らず、この訓話の言葉を生きているキリスト者との出会いに恵まれているような気がします。わたしも訓話の通り司祭の任務を実践しているつもりですが、わたしの怠りと失敗が山ほどです。どうぞわたしをお許しください。ご一緒に主の御降誕の喜びを伝えましょう。