11月号 2019年~2020年を振り返って

信徒代表  朝日文子

11月はカトリック暦でいうと一年の終わり、そして一期二年という代表の任期の終わりが近づいているのですが、今年はコロナ禍の中で今まで通りという概念が覆り、経験したことのない事態を前に、常にやっとの思いでひと山越えたと思っても、次々と高い山が現れ、右往左往しているというのが正直なところです。

この二年を振り返る心の余裕はまだないのですが、これだけは言えることがあります。それは、私は常に助けられてきたということです。昨年のゴーセンス神父様の金祝とエドガル神父様の銀祝の記念ミサとパーティ、聖堂と本館の改修工事後ほとんど無くなってしまう積立金を補充するために、新たに建物改修工事献金を信徒の皆様にお願いすることを決めた時(手紙の主任司祭と信徒代表の連名に大変な責任を感じました)、関連する委員会との連携はもちろんですが、どこから手を付けたらよいのか途方に暮れている私にヒントをくださったり、手を差し伸べ分担してくださったり、本当に沢山たくさん助けていただきました。また、各委員会やチームがその分野でどんなに大変な期待と責任を担っているかを近くで見て、その姿に大変励まされてきました。

38年ぶりの教皇様訪日の東京ドームでの教皇ミサに抽選で漏れてしまった松原の信徒の方々が、聖堂のスクリーンで中継を見ることができたと知った時は、本当に嬉しく安堵し、その手配をしてくださった全ての方に心から感謝しました。

そして今年、ゴーセンス神父様の突然の異動、エドガル神父様をどうお支えすればいいのだろう…。教会活動の根幹のミサができないという非常事態。何がよくて何がだめなのか。その基準は全てにおいてスタンダードなのか。私は信徒代表の役割とは何なのか、緊急事態宣言発出中に重大な課題をいただきました。その答えは十分だったとは言えません。今でも考える時があります。

非公開だった聖なる三日間のミサの時、本館改修工事が無事完了し、明るくきれいになった教会を皆様と共に喜び合う日がいつ訪れるのか、見当も付きませんでした。人が集まってこその教会だと心底思いました。でもそんな時でも、暗い聖堂にほのかな明かりは確かにありました。公開ミサが制限付きでも少しずつできるようになり、これからも続くコロナと共に歩む生活。私達は前に進んで行かなくてはなりません、誰も取り残されることのないように。

まだ任期は終わっていないのですが、一番近くで支えてくださった副代表の武宮さん、星谷さん、いつも大変なことを分け合い寄り添ってくださいました。意見が異なることがあっても、違う角度で見ることで全体を深く捉えることができ、結果的には、いつもいい流れに落ち着くことができたと思います。エドガル神父様、僭越ながら率直な物言いもしてしまいましたが、私達の声をいつも丁寧に聞いてくださり、ありがとうございます。エドガル神父様もゴーセンス神父様も、私達を信頼してくださいました。本当に感謝の思いでいっぱいです。

そして、信徒代表というお役が私を成長させてくれたことは確かですが、皆様からのお声掛けやお祈りによって、どんなに助けられ癒されてきたことでしょう。教会は一人ひとりの思いがひとつの祈りになる時、大きな力を発揮できると思いました。こんな時だからこその何かがきっとあるはずです。まだ全部を振り返るにはやるべきことが残っているので、次の方にバトンをお渡しするまで、務めを果たしたいと思っています。全てのことに感謝を込めて。