1月号 新年によせて

主任司祭   ゴーセンス神父

皆さん、明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いします。正直に言うと、2019年の見通しは世界中よくない。経済的な成長ばかりを狙って、利益と消費による便利さを追求する社会はどこでも崩れつつである。環境破壊のヤバイ問題を構造的に起こしているから。気候変化、海のマイクロプラスチック、原発の廃棄物による放射能、科学毒物の公害、国際貧富の差、国内貧困、人権侵害、貧しい人々に対する「強盗」である武器競争、一万5千本核ミサイルの脅威、暴力と戦争、疫病と飢餓、金融機関の切迫した危機、企業による基準無視、行政の汚職、女子入学生の差別、政治家の嘘、フェークニュースなどの不祥事はますますひどくなる。
それでも「頭を上げて」 (ルカ21・28)、主イエスが救いの計らいを完成するために必ず来られることをしかりに待ち望もう。八つの幸いのため負け組みとなった人々は実際に勝ち組みに属しているというみ国のヴィジョンを広めよう。教会も、社会も、草の根から築き上がらなければ、冷たい組織に過ぎないし、人間はそこで病気になってしまう。又、神がその霊を通じて常に一人ひとりと民とに働きかけてくださるから、皆はそれぞれの掛け替えのない反応を示すと、純粋な愛があれば、鈍い心や背きさえも見える。つまり、全体に聖なる所がたくさん見つかると同時に、地獄もある。こういうあいまいな環境の中に教会共同体の一人ひとりは生き、祈り、活躍している。
ところが、この間に言われた「地区は奉仕より関係である」という意見が判りづらかった。しかし、言葉がその使用によって身に付くし、連想させるものの色によって染まることに気づいた。すなわち、「奉仕」は一般の社会でだんだん暗いイメージを伝え,上から義務付けられ、しかも無給の辛い仕事と繋がってきた。例えば、団地の溝掃除、又はブラック企業の残業が「サービス」と皮肉的でも名付けられた。ゆえに、何かの助けを必要としている人をただで手伝うことは「奉仕」ではなく、善意の「ボランティアの行為」と呼ばれるようになった。こういう意味の変化のせいで、地区制度に確かに色々な仕事の実践があるけれど、高齢、体の不自由、仕事や介護のために参加は限られてきている。
この事実を受け入れて「地区」を生かし、体験させるより大事な方法が見えてきた。すなわち、電話、メール、車での迎えや訪問を通じて地区の兄弟姉妹との関係を促したり、深めたりする「交わり」である。悲しいことや喜びを分かち合うことによって無関心から脱皮して祈り合い、同感できる人間となる。互いを大切にしている姿を注目する周りの人々も励まされ、願わくは人間らしい地域社会へともに進歩ができるように。これこそ草の根で起こるインターフェースではないか。
革新を尽くしている教皇フランチェスコの来日に向かって、「多様性における一致」を具体化したがる菊地大司教のもとで、世田谷北協力体と結ばれ、リニューアルされた聖堂で礼拝を捧げ、改修されていく本館で活発な活動し、日々の生活において神の国のパンだねとなれるように、金と銀祝のエドガル神父と私は新年の祝福の祈りを皆さんのために差し上げます。  (原文のまま)