1月号 新年によせて

主任司祭 L.ゴーセンス

皆さん、明けましておめでとうございます。去年は司祭叙階金銀祝を共に喜ぶことができて、今年も宜しくお願いします。去年も巻頭言に「新年の見通しは世界中よくない」と書いたが、2020年に関しても、残念ながら、同じようなことを繰り返さなければならないのである。やはり、予告は異なっていない、すなわち悪までも経済的な成長を狙って、利益と消費による幸せを追求する社会はどこでも崩れつつである。それは環境破壊を人間が構造的に起こしているからだ。気候変化、海のマイクロプラスチックか生じる公害、原発の廃棄物による放射能、科学毒物の脅威、国際貧富の差、国内貧困、人権侵害、貧しい人々に対する「強盗」である武器競争、一万5千本核ミサイルの抑止力(=テロ)、暴力、紛争と第三世界戦争、DVと女性に対する暴力、疫病と飢餓、金融機関の切迫した危機、企業による基準無視、行政の汚職、教育現場の乱れ、政治家の嘘,フェークニュースなどの不祥事はますます酷くなっているのではないか。それでも、待降節の間約束されたとおり、主イエスが愛の計らいを完成するために必ず来られることをしかりに待ち望もう。「八つの幸い」によって負け組みとなった人々は実際に勝ち組みに属しているという神の国(=支配)のヴィジョンを伝え広めよう。教会と社会とは草の根から築き上げられなければ、冷たい組織に過ぎないし、人間はそこで孤独で悩み、病気になってしまう。又、神がその霊を通じて常に一人ひとりと民とに働きかけてくださるから、皆はそれぞれの掛け替えのない反応を示すと、純粋な愛があれば、鈍い心や背きさえも見えてくる。つまり、全体に聖なる所がたくさん見つけられても、地獄も増えているので、こういうあいまいな環境の中に教会共同体の一人ひとりは生き、祈り、活躍している。ところが、どれほど家族ぐるみのコミュニケーション大切であるかが最近厳しい「8050」という問題によって明らかになった、すなわち、80年代の親たちが50年代の住み込んでいる障害を持っている子供や引きこもりを誰が面倒を見てくれるかという真剣な心配をしている。結局、家族や友人の人々とのコミュニケーションが様々な遠慮とタブーを破らない限り、具体的な見通しがなかなか開けていかない事実を専門は指摘する。教会の「地区」のコミュニケーションを活かしたかげで大事な方法が見えてきた。すなわち、電話、メール、車での迎えや訪問を通じて地区の兄弟姉妹との関係を促したり、深めたりする「交わり」である。悲しいことや喜びを分かち合うことによって無関心から脱皮して祈り合い、同感できる人間となる。互いを大切にしている姿を注目する周りの人々も励まされ、願わくは人間らしい地域社会へともに進歩ができるように。これこそ草の根で起こるインターフェースではないか。革新を尽くしている教皇フランチェスコの来日に学び、「多様性における一致」を具体化したがる菊地大司教に従い、世田谷北協力体と結ばれ、リニューアルされた聖堂で礼拝を祝い、改修されていく本館で活発な活動し、日々の生活において神の国のパンだねとなれるように、エドガル神父と私は新年の祝福の祈りを皆さんのために捧げます。(原文のまま)