信仰養成委員会   三嶋由美
 

主のご復活おめでとうございます。
キリスト教入門講座を受講され、神のいつくしみに触れた三人の方が、復活徹夜祭で洗礼の恵みにあずかったことは、松原教会共同体にとって、とても大きな喜びです。ご受洗おめでとうございます。
さて、信仰養成委員会では、今年度から教会学校(幼小学生会・中学生会・高校生会)を統括して、小委員会や各会の代表の方々と連絡会を通して、子どもたちの信仰教育、運営、横のつながりの強化、連携、協力を図るお手伝いを始めました。また、「いつくしみの特別聖年」に合わせて、黙想会、講演会、DVD鑑賞会、巡礼遠足などの企画、図書の充実などを通して、皆さまの信仰を深めるための一助にしていただければ幸いと思います。
ところで、「神のいつくしみ」について考えていて、ふと頭をよぎったことがあります。それは、豊後府内(大分)での日本初の西洋式医療施設の開設とその医療活動から発した日本初ボランティア活動「慈悲の組」のことです。13~15世紀のヨーロッパは、黒死病などの流行で人口が激減し小教区の体制も維持できなくなり、加えて司祭の不足などもあって教会は危機的な状況でした。
しかし一方で、「ミゼリコルディア(いつくしみ)」兄弟会という信徒中心の活動が地域を支え、教区を超えて積極的に慈善活動を展開していた時代でもありました。16世紀、大航海時代が到来し、ポルトガルの東洋進出とともに、日本にキリスト教が伝来しました(1549)。そのわずか5~10年後に、豊後府内でイエスの教えを具体化した日本初の西洋式医療施設とボランティア活動が始まったのは驚くべきことです。
その事業にはイエズス会とルイス・アルメイダの尽力がありました。のちに、長崎、平戸、天草、島原などへ信仰の種を蒔いたのもアルメイダです。彼はポルトガル王から医師免許を取得し、貿易商人として日本とマカオを往復しながら多くの富を得ていました。彼は豊後府内で質素な施薬院を開いていたバルタザル・ガーゴ神父と出会い、貧しい女性による嬰児殺しや間引きが頻繁に行われている。という現実、孤児が町中にあふれていることを知り、心を痛め、その地にとどまることにしました。神から授かったいのち・子どもたちを引き取って育て、洗礼を受けさせたい、貧しい母親たちが子殺しという罪を犯さないようにしたいと思い、領主大友宗麟の許可を得、庇護の下、貿易で得た莫大な私財を投じて乳児院を開きました。
その後イエズス会に入会したアルメイダは、その持参金でガーゴ神父とともに、ヨーロッパ(ポルトガル)のミゼリコルディアの活動や規則を手本にして、貧しい病人を救うために、日本初の西洋医学を導入した医療施設を開きました(1557)。この施設は内科・外科治療の他に「重い皮膚病」の患者のための病院でした。当時の薬や医療では治る見込みもなく社会的にも差別され、行き場のない病者をアルメイダや日本人パウロも受け入れ、一生懸命に介護したと報告されています。ザビエルから布教責任者に使命されていたトーレス神父は、その医療施設を手伝うため12人の中心的な役割を担う信徒のボランティア協力者を集めました。これが、日本初のボランティア活動(慈悲の組)で、徐々に各地に広がっていくことになるのです。「慈悲の組」は信徒中心の活動でした。治る見込みのない病人・孤児・貧者の世話、子どもの教理教育、病者の訪問、死者の葬儀・埋葬、貧者の葬儀費用の寄付募集、周辺の村を巡って貧者を訪問するなど多岐にわたっていました。
当時の常識からいえば、死体に触れることは、最大の穢れとして忌避されていました。しかし、信徒は、見捨てられた貧しい死者に対して丁重な葬儀をして埋葬までする、それは全く当時の常識(行き倒れの死者は簡単な穴を掘って埋めるだけ)を超えていました。最も小さい者をキリストと同一視している信徒たちからすれば当然の行いですが、キリシタンでない人にとっては、衝撃的で特別な生き方として認識され感動した多くの人が改宗したことも頷けることでしょう。高槻にも広がった「慈悲の組」の活動を推奨して高山右近父子も当時蔑視されていた貧者の棺を担いだと記録(1574頃)に残っています。
ヨーロッパからもたらされたミゼリコルディアは、日本という土壌で熟成され、少なかった司祭から信仰教育を受け、「どちりいなきりしたん」のような教義で学び、信仰共同体として強い絆で結ばれて、長崎、大阪、高槻など様々な土地に広がり、福音的なわざで発展していきました。秀吉の伴天連追放令(1587)にも、16世紀末の資料によると司祭一人あたり信徒約五千人という信じがたい時代にも動じることがありませんでした。徳川幕府の禁教令(1614)から信徒発見までの250年間、潜伏キリシタンとして粛々と信仰を守り続けられてきたのは、「慈悲の組」で培われた信徒共同体を土台とした秘密の組織と信仰の継承のために欠かせない徹底した信仰教育にあったことは紛れもないことのように思います。
「温故知新」、キリシタン時代には、私たちが学ぶべきことが、たくさんあるように思います…。