信仰養成委員会    三嶋由美
 

今月三月十七日「日本の信徒発見百五十周年記念ミサ」が長崎大浦天主堂で行われます。

「ここにおります私どもは全部あなたさまと同じ心でございます。・・・サンタ・マリアのご像はどこ?」。これは、一八六五年三月十七日、大浦天主堂(フランス寺)で起きた世界宗教史上奇跡とも称される出来事です。徳川幕府の禁教令から二百五十年あまりの迫害、弾圧、殉教、宣教師国外追放の時代に、密かに信仰を守り続けた長崎浦上村の潜伏キリシタンたちは、命がけでプチジャン神父にそっと打ち明けました。その時、彼らは代々守り伝えた「三つの伝承(①七代経ったらパードレ様がローマから船でやってくる。②そのパードレ様は独身。③サンタ・マリアのご像を持ってやってくる。)」の確信を得たのです。

遡って一六四四年、小西神父が殉教したのを最後に日本には司祭が一人もいない時代が始まりました。幕府はキリシタン全滅のために「絵踏み」「五人組連座」「寺請制度」などを強化し、弾圧し続けたので、信徒同士であっても信仰を隠さなければならない生活を余儀なくされ、教会は深い暗闇の中で風前の灯火でした。そのような状況の中で、信仰の火を点し続けようと浦上村サンタ・クララ教会の孫右衛門は親友の七郎左衛門に相談。密かに浦上村山里の潜伏キリシタンを戸別訪問して、皆の同意のもとに、信仰と教え(ご大切=神の愛)を継承していくために「惣頭(帳方)」「触頭(水方)」「聞役」の三役を中心とした秘密の潜伏組織を作りました。「惣頭」は、教理とオラショ、日繰り(教会暦)を触頭に伝えるという重要な役割を果たしていました。「触頭」は惣頭からの伝達を聞役に伝え、洗礼を授ける役割を担っていました。「聞役」は字の全戸のキリシタンを掌握し触頭からの伝達を各家に伝えました。惣頭は一冊の日繰り(バスチャン暦)を大切に保管し、陰暦二月二六日頃(春分)の「さんたまりやのお告げ(神のお告げ)」を基点に定めて、「悲しみの節(四旬節)」、「はっくわ・どみんご(復活祭)」、「なたら(降誕祭)」などを決め、これらを触頭から聞役へ、聞役から各戸へ伝え、極秘に集まって祈りや教えを学び、行事などが行われていました。この日繰りは長い迫害の中で信仰伝承の力強い原動力となりました。葬儀は仏教徒として行い、後で三役を中心に、密かにやり直して葬り、家では慈母観音像に聖母子を投影していました。毎年の絵踏みの後は、告解の代わりにコンチリサンの祈り(完全な痛悔の祈り)で神に罪のゆるしを求め、夏には破壊されたサンタ・クララ教会跡に集まり、役人の目をごまかして、祈りをこめた盆踊りで信仰と連帯を深めていました。

このようにして、禁教令から二百五十年間、聖職者が一人もいない時代にも連綿と信仰を継承できたのは、神への揺るぎない信頼、ご大切の教え(神の愛)、そしてローマからの牧者の到来と公に祈れる日々への希望に裏打ちされた秘密潜伏組織の強い結束の賜物に他なりません。「信徒発見」によって復活キリシタンとなった彼らの信仰は、後に明治政府による「浦上四番崩れ」という激しい弾圧にも耐え忍び、今日の私たちへと繋がっていくのです。「信徒発見一五〇年」、彼らの信仰、忍耐、希望、愛、連帯などの中には、私たちの「今」を振り返り、未来に信仰を受け継いでいくためのヒントが、たくさんあるように感じています。皆さんはどうお考えになりますか。