助任司祭  オノレ・カブンディ
 

今年の10月にバチカンで「教会と現代世界における家庭の召命と使命」をテーマとしたシノドス(世界代表司教会議)・第14回通常総会が開催されました。教皇フランシスコは福音宣教の観点から家庭司牧を考えるシノドスに向け、教会のすべての成員、司教・司祭・奉献生活者・信徒らが具体的な助言や祈りをもって積極的に参加することを期待されました。「教会は家庭をめぐる新しい司牧的急務に対応しながら福音を告げるように招かれている」と教皇は述べました。
このシノドスで、家庭を脅かす困難や疑念のすべてに十分な説得力ある解決が見つけられたとは言えないが、これらの問題を信仰の光の下に置くことで、恐れたり、見ないふりをすることなく、注意深い検討を行うことができたと教皇は閉会にあたり評価されました。
人間が、いつの時代にも家族を形成し、そこを基礎として生活してきたのは、家庭が人間にとって重要な意味と働きをもっていたからです。現代日本の家族・家庭は様々な困難な問題を抱えています。それらは、幼児の虐待、いじめ、晩婚化、少子化、離婚や家族の離散、家族の精神的乖離や家庭内暴力、高齢化と単独世帯の増加、不公平な家事労働と介護負担など、数え上げれば限りがないほどです。近年、社会問題となっている、家庭が若者にとって魅力となり得ていないことと無縁ではないと思います。数年にわたって家族とは大家族であったのです。時と場合によって村が家族であったのです。開発途上国ではまだ大家族が評価されていますし、同性結婚を認めるような社会を受け入れがたいのです。実は「核家族」や「同性結婚」などはつい最近のことで常識と見なされているのですが、マイナスとプラス面があるのです。これらによって、実際社会は悪化したと言えるのではないかと思います。例えば、少子化により学校を閉鎖しなければいけないところもどんどんでてきました。また、高齢化が進み社会や教会などに活気がなくなってきたといってもおかしくないのです。家庭・家族の変化により、社会は簡単に良くも悪くもなるのです。独身である私たち(神父)は家庭の問題について述べる資格はないと言えるかもしれませんが、家庭に生まれ育った体験と福音宣教の観点から気付いた点について分かち合いたいのです。参考になればと思います。人間にとって、愛情の基地ともいえるその場所は、両親、兄弟、祖父母を中心とした家庭にほかなりません。家庭が豊かな愛情に満ちているのか、それとも愛情が乏しく殺伐としているのか。そのような家庭の雰囲気は、子どもの性格や人格、人生観、アイデンティティに大きく影響を与えます。
家庭を構成する、最小単位は夫婦です。どのような家庭も、まず一組の男女が結びつくことから始まります。その夫婦の結びつきが弱いと、家庭は根っこから崩壊してしまいます。夫婦における一番の問題は、その愛情が長続きしないということです。しかし、結婚講座で言うまでもなく夫婦の生活を支えているのは愛情である感情ではなく、愛である意志です。好きという感情は、自分が何も努力しなくても対象から誘発される受動的なものです。だから、対象が変化した場合、当然誘発される感情も変化してしまいます。それに対して、愛するというのは、意志を伴った能動的な行為です。意志の背景にはその裏付けとして、相手を思う心、ゆるす心、愛情があります。
福音でいう隣人愛の実践は、まずなにより家庭において、夫や妻、子どもや年を召した両親を愛するところからです。そして、よその子にも、わが子と同じ愛情を注いであげるところから、愛の器が拡がっていくのです。もう一つのポイントをあげたいのです。それは、家庭内のコミュニケーションについてです。現代における家庭・家族の必要性を考えると、まずコミュニケーションがあげられるのです。なぜなら、現代の人々は今コミュニケーションが欠如しているからです。家族が共にし、コミュニケーションをとる時間が失われつつあるのが現状です。
現代の日本では、核家族がますます増えてきていて、その一方で、生活に焦点を当てるとコミュニケーションの不足が問題となってきています。レストランに行っても、親から子どもまで、楽しく会話し食べるよりも、忙しく自分たちの機械で遊んでいる様子が珍しくないです。深い関係を結びたい恋人のデートも同様です。そうすると付き合いの時からコミュニケーションが不足しています。コミュニケーションが希薄な家庭で育った人は、人間関係・恋愛が上手くいかないと思います。自分の家族内でお互いみんなが引きこもりになり、コミュニケーションがないという疑問をもった方も少なくないようです。なお一層悪いことに、信者の家庭は模範となっているといえるでしょうか?文化の違いかもしれませんが、日本に来て一番驚いたのは、家庭について友達に聞いても、自分の親の職業がわからないということです。自分の親がしていることに興味をもっていない、自分の子どもに自分の仕事、やってることを説明しようともしない親のことが、私にとっては不思議でした。そして、最近、家庭内の日常のコミュニケーションはショットメールで行われていることにもびっくりしました。コミュニケーションがないため、いろんな問題が生じるのではないかと思います。
家庭でのコミュニケーションの一番重要な目的は感情の交流にあります。家族内での殺人といった奇妙な事件も多発しているわけですが、家族の絆を手に入れれば、そのような事件など考えることができないでしょうと思います。いじめで苦しんでいる子どもたちの逃げ場は家庭です。いじめの問題の解決のために家庭が極めて重要な役割を担うのです。いじめの問題の基本的な考え方は、まず家庭が責任をもって徹底する必要があります。家庭の深い愛情や精神的な支え、信頼に基づく厳しさ、親子の会話や触れ合いの確保が重要です。ですから、私たちが希薄化しつつある家庭・家族の絆を形成しなおすには、コミュニケーションを補うことが必要ではないかと思います。コミュニケーションを補うことで家族と過ごす時間が増え、お互いをさらに知り、支え合うことができます。家庭内で話し合い、愛し合い、ゆるし合い、尊敬し合い、キリスト教的価値観を証し出来るなら、外に向かって福音宣教ができるでしょう。子どもたちに信仰教育をするのも大切ですが、まず夫と妻、父親と母親はお互いにゆるし合い、助け合い、励まし合う姿を子どもたちに見せることが大切だと思います。新たな仕方で「姥捨て」をすることなく、介護が必要な両親や祖父母の世話をすることが家庭内の福音宣教の一歩なのです。