BY  主任司祭   L・ゴーセンス

 

皆さん、明けましておめでとうございます。この新年の間にも宜しくお願いします。2015年間(正確に多分2021年間)前に人類を救いに来られた無防備の幼子イエスが永遠の命への導き手として再び来られるキリストと決定的に出会うことを待ち望みながら、今年が皆さんの為に希望と愛に満ちた、張り合いのある一年となりますように「福音の喜び」を申し上げます。
神の恵みによる幸せを日々の生活の中で一時的、部分的にでも味わえたら、希望をもって将来を迎えられます。このような信仰体験を大勢の人と共に見分けて分かち合うことができると、福音宣教という派遣の喜びが沸いてきます。30,60,100倍の実を結ぶ神の言葉が広まれば、悪魔が蒔いた毒麦も同時に生えて構造悪として成長している現状もあります。資本主義による消費社会の中で利益の追求の為お金を崇拝する人々と,仕事場で搾取され、奴隷となって健康や家庭を壊している人々との間にグローバル的な葛藤や暴力が生じているわけです。
こういう状態の中でもちろんだれも幸せになれないし、むしろ寂しさのあまり、孤独に悩んでしまいます。むなしさを富で偉そうに満たそうとしても、無意義が痛くて打ち込みます。または、使い捨てられるような見通しのため本当の自分が分からなくなって絶望に落ちてしまいます。自己嫌悪に負けるし、仕方が無く不正と妥協し、ニヒリズムのせいで心は狭くなって自己中心的な人物と変わってしまいます。結婚の相手、自分の子供をさえ理解することができなくて家庭内暴力に落ち、仕事の場で人間関係に悩み、親戚と地域の人々に対して無関心となり、社会と世界の状況を知らない者として疎外の極みを体験し、自殺しがちです。
他人と交わりをもっていない人は人「間」と呼べないし、絶対的な他者である神とのかかわりをも失っています。こういう「惨めさから誰が救ってくださるか」(ロマ7, 24)という叫びにパウロが与えた答えと同じように、私たちも現代人の迷いに「イエスの道しかないよ」と自分の信仰経験を伝える準備ができているでしょうか。罪深い状態から脱皮する為に、死から命への過ぎ越しの過程には唯一の道しか整えていません、すなわち「損ができる愛」(故浜尾枢機卿)なんです。天のお父様は放蕩息子のわがままにあきらめておられていないので、その慈しみは無償で誰にでも立ち返る新しいチャンスを与えます。
ところが、今年に小教区信仰共同体としての設立50周年を祝うに当たって、開かれ教会になろうとする努力を引き続け、困っている人々に「包摂」(教皇フランチェスコ)の「手」を開き、「目」から共感の涙を流し、神に結ばれ叫びに「耳」(浜矩子先生)を傾けましょう。
こういう「愛の奉仕」(典礼聖歌322)に勤めることができる喜びと魅力が伝わっていけば、主イエスの証人の数も増えるでしょう。
神が今年中一人ひとりの為に求めておられる奉仕の役割がどういう働き手の姿であるかを、識別をもってつかみ、それを祈りの心とイエスらしい振る舞いをもって実行させる聖霊の力を、オノレ助任司祭と一緒に松原教会の皆さんに祈り申し上げます。