主任司祭 L・ゴーセンス
 

皆さん、明けましておめでとうございます。この新年の間にも宜しくお願いします。2018年が皆さんの為に希望と愛に満ちた、張り合いのある一年となりますように「福音の喜び」を申し上げます。
さて、今年のカトリック松原教会は二つの重要な新しさを恵まれていく、即ち聖堂のリニューアルと私達の信仰共同体と共に歩んでいる数十人の受堅者。
未来プロジェクトの報告に説明されたように耐震工事を総合的に実施し、必要と思われる他の設備を同時に作り直すことになった。より良い状況の中で典礼を祝うことに期待をかけながら、三ヶ月の工事のための不便を忍耐しよう。
去年の典礼講話で秘跡について一般的な説明したが、今度堅信について考察したい。聖霊との出会いによって聖霊に満たされた生活 (= life in the Spirit)を送ることは堅信の秘跡によって示される。油 (マッサージの時の扱いを参照) を塗られてイエスらしい人間として強まり、香油のようにキリストの良い香りを放ち広める信徒として使徒職のあらゆる場へ派遣される。
以上のすべては聖霊の働きかけのおかげで起こると信じている。では、いったい聖霊をどう理解したら良いか。超越者ご自身のことだから、私達の表現はもちろん物足りない。旧約聖書はヘブライ語で神の「霊」を「ルアハ」と呼び、「息吹」という意味だ。息がなければ生きられないから、創世記の第二の物語で神は粘土の者の鼻に息を吹き込んでアダムを生かしてくださる。又、自然の息吹は風である。例えば、風は帆を押して帆舟を動かし、又はものを飛ばす。こういう風に神の霊は預言者を活動のためにある町から次の村へ文字通り「飛ばした」話がある。
要するに、聖書は聖霊を目に見えない「霊」(≠ 幽霊)= 力として理解し、神ご自身の創造力、偉大な影響力と見なしている。しかも、よく「火」と「炎」というシンボルと連想する。料理または衛生の場で、火の扱いが物を根本的に変える力を持っていることは明らかである。例えば、砂を透明なガラスに溶かす不思議な力のように、聖霊は閉じこもっている弱虫の弟子達を勇敢なあかしびと、しかも殉教者に変えてくださる。
聖書で救いの御業の話になると、必ず「集める」という言葉が出てくる。つまり,ノーベル文学賞を受けたイシグロ氏から指摘された「分断」を神が新しい一致に作り直す終末的な救いの完成の見通しは与えられている。
「分断」は四つのレベルに表れ、又いやされていく。① 神から離れた状態から神との和解へ ② 自分との疎外と自己嫌悪から神の慈しみによる自己受容へ ③ 互いの無関心と分裂や暴力から同感と助け合いや連帯へ ④ 自然界の搾取と環境の破壊から宇宙万物とのハーモニーへ。この四つのかかわりが正されると、正義 = 正しい関係が出来上がる。そして、正義派平和の土台である。
こういうような計らいや神の国 = 支配 という夢の実現へ促す働きは聖霊の本質で、愛そのものでもあるに違いない。ところが、今月に「キリスト教の一致」を祈り求める祈祷週間が寄り添ってくる。どういうような前向きの一歩が出来るかな問われている。
皆さん、互いに愛し合う = 仕え合うキリスト者の姿は他の人々を主イエスとその父である神のすばらしさへ誘うあかしびととなるように今年も「ともに いつくしみの輪を広げよう」のではないか。(原文のまま)