主任司祭    L・ゴーセンス
 

皆さん、明けましておめでとうございます。この新年の間にも宜しくお願いします。
「私につまずかない人は幸い」(マタ11・6)
 
砂漠で自由に叫び続けたヨハネは二号さんと踊り子による復讐の犠牲者となり、疑問を感じて、期待はずれとなったイエスに「ほかの方を待たなければなりませんか」と牢から尋ねさせた。現代も神の不在の時代と言われる。


神の慈しみの聖年が終わっても、改革を進めるフランチェスコ教皇と列聖されたマザーテレサが世界中に人気を集めていても、国際貧富の差のために対立と紛争は広まり、社会で競争と不平等が増えるばかりである。日本司教団が原発廃止を訴え、死刑執行の毎度に抗議声明を出し、武器によらない平和を作るユニークな憲法を保護しているにもかかわらず、安倍政権はインドに原発を売り込んだり、ブラック企業の取締りを怠ったり、軍備演習とTHAADミサイルの購入をほしがったりする。


家庭と仕事の両立を望んでいても、グループのプレッシャーや進学・出世を優先し、ネズミレースで負けてしまうので、青少年の反発と引きこもりや高齢者の孤独感が深まっていく。


信仰生活に関するすばらしい教材、興味深い講演、勉強会、黙想会や分かち合いのグループがあっても、部活動、ゲーム、快楽や趣味の魅力に誘惑されることが多いではないか。こういうような中途半端の私たち信者には世を変える影響力があるだろうか。むしろ神の国の理想にあきらめ、現実主義者として自己満足で平和惚けに陥っているかもしれない。


ところが、イエスは別の現実を見せてくださる。それは人々が福音の喜びによって回復しているという逆転において明らかになる。最近の選挙に次々の国民はまったく違う政治への憧れを想定外に示し、政策の抜本的な変化を要求する。民主主義的な活動をこつこつ開催し、新しい組織や組合企業とリサイクル経済へ一歩ずつ取り組んでいく。


テゼの祈りに熱心の若者とWYDの花火のような喜びが伝わってくると、教会共同体が元気になる。この間の地区連絡会で旧・新幹事の報告と希望を伺ったとき、皆が参加する教会作りを期待できるような気がした。キリストの体にすべての部分は必要で、互いに支えあって大切にすることによってきっと社会にも役立つ信仰共同体になれる。そうすれば、キリストの国が築き上げられるに違いない。神は今年も不在ではない。マラナタ、主イエスよ、来てください。(原文のまま)